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1 accusation

 16歳だったカトリーヌは、何故自分が疑われたのか判らなかった。ある日突然、村に兵士が押しかけてきて彼女は連行された。泣きながら後を付いて来ようとした妹たちは、兵士に足蹴にされて追い払われた。両腕を後ろに捻り上げられ、縄を掛けられて歩かされる道に村人の姿はなかった。誰もが恐れをなして閉じこもってしまったらしい。ただ破れた窓の隙間や崩れかけた土塀の陰から、ひそかに注がれる視線があることは判った。それが恐怖なのか同情なのか好奇なのか、彼女には判断できなかった。

 教会に連れて来られると、彼女の首にはずっしりと重い鉄の首輪が掛けられ、両腕も鎖で繋がれた。まるで重罪人のような扱いで、両側から兵士の槍に背中を脅かせながら石畳の廊下を歩き、やがて広い場所に出た。その時の彼女には判らなかったが、そこが審問室だったらしい。部屋の中央は篝火が焚かれて明るく、周囲は薄暗い闇の中に沈んでおり、そこに何人もの聖職者達が取り巻いているようだった。

「ラフォンティーの村娘、カトリーヌとはお前に間違いないな。」
 石造りの部屋に、重々しい声が響き渡る。黙って頷くと、兵士の槍で背中を小突かれた。
「もう一度訊ねる。カトリーヌとはお前のことで相違ないな?!」
「は、はいっ。」
「うむ。お前は神の善きしもべとして、この神聖なる場所で真実を語ると誓えるか。」
「ち、誓います!」
「では、これより当教会は神の名において異端審問を開始する。」
 木の槌が石を叩く硬い音がして、部屋は一瞬の静寂に包まれた。
「被告カトリーヌには魔女の嫌疑が掛けられておる。被告は邪悪なる者に魂を売り渡し、妖しげな儀式を行って呪いを掛け、ツーランの村に例年になき不作を招いたとの訴えが上がっておる。」
「そ、そんなの!」
 出鱈目です、と続けたかったが、神前であることを意識して言葉を控えた。隣村ツーランは亡くなった母が嫁いできた里だが、カトリーヌ自身は行ったことすらない。顔見知りもいない村から何故こんな訴えが上がるのか、彼女には全く思い当たることがなかった。
「被告カトリーヌは、この嫌疑を認めるか?」
「み、認めません!きっと、きっと何かの間違いです!」
「被告は嫌疑を否認した。記録に留めるように。」
 ざわざわっと審問室にざわめきが広まる。カトリーヌは勇気を振り絞り、精一杯の真実を告げようとした。
「も、申し上げます!私は貧乏ですが、物心ついた時から教会へのお参りを欠かしたことはありません!家には祭壇を置き、いつも真心を込めて拝んでいます。」
「静粛に、静粛に!被告は一方的な発言を慎むように。」
 木の槌が石を叩き、彼女は重たい雰囲気に気押されて口をつぐんだ。
「では次に、審問官による取調べを行う。クーブル審問官、前へ。」
 黒い服に身を包んだ、顔色の悪い男が闇の中から歩み出た。思わず身を引こうとしたカトリーヌの身体を、両側から兵士が押し止める。
「被告は魔女の嫌疑を掛けられ、これを否認し、自分がいかに忠実な神の僕であるかを主張した。…これで間違いありませんね、審問長?」
 クーブルと呼ばれた男は甲高い声でそう述べると、兵士に両腕を掴まれているカトリーヌの身体を撫で回した。恐怖と嫌悪が背筋に走り、彼女は「ひぃっ」と声にならない声を上げる。
「ふん…外見はまだ娘っ子のようですな…。だが皆さん、騙されてはいけません。悪魔は常に巧妙な手口で我々を欺こうとするものです。真実はすべて、白日の下に晒されなければなりません。」
 彼は腰から短剣を抜くと、カトリーヌの襟元に刃を当てた。
「なっ、何!?や、やめてください、お許しを…。」
「静粛に!被告の発言は認められていません。」
「これ、動くんじゃない!二人とも、しっかり押さえているように。」
 彼女の数少ない財産である粗末な服を、審問官の短剣が容赦なく切り裂いてゆく。やがて篝火のゆらめく明かりのなかに、彼女の裸体が浮かび上がった。ひょろ長い手足の先は村娘らしく陽に焼けていたが、地肌は官能的なほどに青白かった。そして、彼女の乳房は痩せた身体の割に発育しており、その先端には黒ずんだ乳輪が大きく広がっていた。
「審問長。彼女のこの卑猥なる身体を御覧ください。」
「むむぅ。これはまた、何とも…。」
「如何です、嫁入り前の娘にしてこの豊満なる乳房!そしてこの淫靡なる乳輪!これぞ悪魔と快楽を交わした淫蕩の偽らざる証拠です。」
「で、出鱈目です、そんなの!」
 思わず口にしてしまった言葉で、審問室には戸惑いと驚きに満ちたどよめきが広がった。クーブルは片手を掲げ、喧騒を制するように神父たちに語り掛ける。
「お聞きになりましたか、お聞きになりましたね?!この神聖なる裁きの場において、あまりに神を冒涜した今の言葉を!悪魔に魂を売ったものでなくば、あのような言葉を発することができる筈がありません。おぉ、恐ろしいことだ、主よ我らを護り給え…。」
 クーブルは両手を組み、床に跪いて祈りの言葉を口にしていた。カトリーヌは必死に、闇の中へと呼びかける。
「神父さま、神父さま!!お聞きになってください、神様に誓って、私にはやましい事などございません!」
「静粛に!被告は静粛にしなさい。」
「こんな裁判なんて、間違ってます!村の人に聞いて頂ければわかる筈です、神父さま、どうか私の言葉をお聞きください!」
「えぇい、口を慎め、この忌まわしき魔女め!」
 クーブルは後ろからカトリーヌの口を押し塞ぎ、兵士に何か合図した。
「恐ろしい、あまりに恐れ多いことです。これ以上、この女の毒舌を許しておく訳には参りません。的確なる処置を施させて頂きます。」
「当教会は審問官の申し出を認める。」
 処置?認める?どういう意味?!戸惑うカトリーヌは、いきなり口に兵士の指を突っ込まれてこじ開けられた。口の中に何かが突っ込まれる…トゲトゲの生えた鉄球だ。そこにつなげられた鎖の輪が、彼女の頭に回されてパチンと閉じられる。それは『嘘吐き者の梨』と呼ばれる拷問道具だった。彼女はもう口を閉じることも、言葉を発することもできない。舌の上に鉄の味を感じながら、半開きにされた口から涎を垂れ流すことしか。

「では、審問を再開致します。古来、悪魔と交わった者には、必ず身体にその痕が残ると言われております。被告の身体にもその証拠があることを、これから実証させて頂きます。」
 クーブルは松明を近づけ、彼女の裸体を仔細に眺め回した。太股に3箇所、乳房の付根に2箇所のホクロを見つけると、彼は勝ち誇ったように宣言した。
「皆さん。かように淫靡な場所に出来るホクロというものは、これ即ち悪魔と交わった印とされております。これがその印であることは、今からこの針で証明して御覧に入れます。」
 クーブルの手には、長い鉄の針が握られていた。その先端が太股のホクロに押し当てられ、激痛を予感したカトリーヌの背に冷や汗が流れる。…だが、痛みも何もない。押し当てられた針は魔法のように、スーッとホクロに吸い込まれてゆく。魔法?!…いや違う、針の先端部分が二重になっていて、根元の部分に収まるようになっている。イカサマだ!!…でも何故、何のためにこんなことを?!
「如何です、このように針を刺し込んでも、痛がりもしなければ血も出ません。これこそ、悪魔と快楽を交わしたる何よりの証拠!」
 嘘よ、嘘!叫ぼうにも、鉄球を突っ込まれた口からは言葉が出ない。あぅ、あぅあぅあぅと声にならない言葉が漏れ、彼女の顎から涎が糸を引いてしたたり落ちるだけだった。お願い、一言でいいから、私の言うことも聞いてください!…どうして、どうして神父様たちは、こんなイカサマ男の言いなりになっているの?!


 法廷は審議に入ったようだった。暗闇のなかで、神父たちが何かひそひそと話し合っている。その間、カトリーヌは口枷を嵌められ、首と両手を鎖で繋がれたまま、両脇を兵士に固められて立ち尽くしている。やがて木の槌が石を叩く硬い音がして、重々しい声が告げられた。

「判決を下す。被告カトリーヌが魔女であるという訴えについて、当教会はそれが事実であったと認めるものである。」
 カトリーヌの頭は真っ白になった。魔女の宣告…それは死を意味していた。それも、緩慢にして苦痛に満ちた死を。魔女の処刑がいかに恐ろしいものであるかは、噂に聞いて知っている。生きながら火に焼かれるか、それとも手足を縛られて湖に投げ込まれるか。妹たちは…あの子たちは、私が居なくなったら、どうやって暮らして行けば良いのだろう…。
「ただし、神は罪深い者もお許しになられるであろう。まだ若い被告の年齢を考慮し、被告にはまだ更正の余地があるものと判断する。よって被告に対しては、通常行われる魔女の処刑を適用しない。」
 おぉっ、とどよめきの声。絶望に打ちひしがれたカトリーヌは顔を上げ、パッと希望に顔を輝かせた。
「ただ審問官からは、更正前にまず被告が当法廷において犯した罪を罰するべきであるとの具申がなされており、当教会はこの申し出を認めるものである。その罪状と罰は次の通り。
ひとつ、神聖なる法廷を侮辱した罪について、鞭打ち百回の罰。
ひとつ、神前における真実の誓いを破った罪について、焼印五箇所の罰。
ひとつ、、偉大なる教会を侮辱した罪について、終世その印を身につける罰。
罰則の適用後、被告の更正はクーブル審問官に一任される。この判決を持って、当教会はこの裁判を終了する。神の栄光のあらんことを。」
「神の栄光のあらんことを。」
 闇の向こうで、神父たちが退席してゆく。被告席に残されたカトリーヌの膝は、怒りと恐怖で小刻みに震えていた。その背を兵士達が小突いて先を促してゆく。来た道を戻るのではなく、教会の暗い深遠部へと向かう道を。


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