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2 interrogatoire

 街の教会には拷問室があると噂に聞いたことはあったが、カトリーヌはそれまで半信半疑だった。神の名において人々に福音を与える教会が、そんな恐ろしい施設を持っているとは信じたくなかった。まして自分がそこに連れ込まれて拷問を受けることになろうとは、夢にも思っていなかった。
 床も、壁も、天井も石造りの薄暗い空間。天井近くに空気抜きらしい窓があり、そこからかすかな外光が漏れ入ってくる以外、篝火だけがこの部屋の光源である。壁や天井が黒ずんでいるのは、長年の篝火で煤が溜まったからだろう。だが床が所々黒ずんでいるのは、ここで流された魔女容疑者達の血痕なのかも知れない。
 カトリーヌは両手を手枷に繋がれ、天井から鎖で吊り下げられていた。口にはあの鉄球が突っ込まれたままである。全体重が掛かった肩は、抜けてしまいそうに痛い。激痛に耐えつつ、辛うじて開いた薄目の向こうに見えるのは…黒服に身を包んだ拷問吏。そして鞭を携えた、あのクーブル審問官。

「カトリーヌ、君には失望したよ。法廷であんな騒ぎを起こすなんてね…死刑宣告が下されなかったのが不思議なくらいだ。」
 失望?騒ぎ?一体何のこと?!混乱した頭の中で、彼女は仕込み針を使ったインチキ審問を思い出す。この男は…一体何者?一体、何を望んでいるの?!
「まぁとにかく、君には正式に罪状が言い渡されたわけだ。今から君には、罪をきっちり償って貰うからね。」
 鞭打ち百回、という判決が頭に蘇る。酷い…どうして?!私は何もしてないのに…毎日神様に祈りを捧げながら、妹たちとささやかな暮らしをしていただけなのに!どうしてこんな目に逢わなきゃならないの!!
「それでは、これより神聖なる刑罰を執り行う。ひとーつ。」
 クーブルは鞭を振り上げると、容赦なく振り下ろした。乾いた音が地下室に響き、カトリーヌは激痛に身を反らす。ギシッ、ギシッと、彼女の身体が揺れるたび鎖が軋んだ音を立てる。
「ふたーつ。」
 再び激痛、続いて三度、四度。クーブルが使う鞭は、牛馬の調教にも使う本格的な革鞭だった。打たれた跡は皮膚が裂けて血が滲み出す。歯を食いしばろうにも、口には棘だらけの鉄球が押し込まれている。全体重を支えている手枷も手首に食い込み、腕が本当に千切れそうだ。彼は背中からも打ちつける。頭の後ろで結わえていた髪が解け、ざんばらになった金髪が額や肩に降りかかった。
「両手吊りは辛いかな、カトリーヌ?どうだ、ちょっと休ませてあげようか?」
 クーブルの囁きに、カトリーヌは思わず頷いてしまっていた。
「よーし、よーし、それじゃ休ませてやろう。おい、アレを持って来い。」
 拷問吏が何かをゴロゴロと転がしてきた。寝台?!…いや、違う。魔女責め用の拷問道具、股裂きの三角木馬だ。それが彼女の両脚の間に押し込まれ、両腕を吊った鎖が少しづつ降ろされてゆく。
「んぐぅ…んぐぐぐぐぅっ!!」
 三角木馬が彼女の股間に食い込んでゆく。股間の激痛を和らげようと、彼女は必死で鎖にぶら下がろうとした。そんなカトリーヌの努力を嘲笑するかのように、クーブルの鞭が彼女を襲う。
「ぐふうぅぅっ!」
 腕の力が抜け、体重の掛かった股間に木馬が食い込む。鎖にすがろうとすると、再び彼女を襲う鞭。
「おい、今ので幾つだっけ?」
「さ、さぁ?!10くらいは打っていたと思いますが。」
「うーん、俺も忘れちまったなぁ。まぁ、いっか。また1からやり直しだ。」
 そ、そんな!!あまりの理不尽に、彼女の胸は張り裂けそうだった。この男…絶対にとぼけている、忘れたふりを装っている!!
「ひとーつ!」
 既に傷だらけになったカトリーヌの身体に、また新たな裂傷が加えられる。鉄の刃の上で彼女の身体が揺れ、太股を伝って血が流れ落ちる…。

 百発の鞭打ちに耐えたのかどうか、カトリーヌには判らなかった。途中、何度も気を失ったような気がする。とにかく脚の間から木馬が下げられ、鎖が巻き戻されて石の床の上に降ろされたとき、これでやっと終わったのだと思った。だがあの裁判の宣告を思い出し…刑罰はまだ始まったばかりなのだと判ったとき、彼女は再び意識を失っていた。ぐったりした血まみれのカトリーヌを腕の中に抱えたクーブルは、青白い顔に満面の笑みをたたえていた。
 拷問吏は彼女の脈を取ったり、息の様子を調べたりしている。囚人を殺さず傷めつけるのも彼等の役割だ。もし拷問の途中で囚人が死んでしまえば、それは彼等の非として記録に残されることになる。他人の痛みには鈍感であっても、生死の境に敏感でない者にこの職業は勤まらない。

「どうだ、この囚人は。まだ耐えられそうか?」
「正直に申し上げて、やばいです。これだけ生傷が出来れば、やがて熱を持ちます。傷から毒が入れば、死に至ることも少なくありません。この女、少なくとも3、4日は休ませないと次の仕置きはできません。」
「フン、ならば病死ということにしておけばどうだ?お前らの落ち度にはなるまい。」
 そう言いながら、クーブルはカトリーヌの額にかかった金髪を掻き分けている。
「とはいえ、気絶した相手を責めても何にもならんしな。私は10日ほどしたら戻ってくる。それまでにせいぜい治療しておいてやってくれ。」
 彼は囚人の身体を拷問吏に託すと、漆黒のマントを翻して拷問室を出ていった。


 拷問吏の言ったとおり、鞭打ち後のカトリーヌは全身の傷が熱を持った。藁を敷いただけのベッドに寝かされ、朝晩水を与えられる程度の待遇で、三日三晩生死の境を彷徨った。やっと起き上がり食べ物を口にすることができるようになっても、与えられるのは硬いパンと水のようなスープだけ。牢の中でも彼女の手足には鉄の枷が嵌められ、鎖で壁につながれている。…どうして、何で私がこんな目に?!…もう何百回も繰り返した答えのない問いを問いかけ、カトリーヌはあの裁判を思い出そうとする。私…私、何か間違ったことを言ったかしら。私、神様を冒涜するようなことを言ったのかしら?!だがどんなに考えても、思い当たることはない。
 思い出すのは、あのクーブルという審問官の顔。青白く陰気な顔に、底知れぬ残酷さを秘めたあの笑顔。まるっきり根拠のない「悪魔の印」、インチキな針を使った審問。そう、あの男だ…あの男が「魔女」なるものを作り出し、罪もない娘たちを捕らえては残酷な刑罰にかけ続けているんだ。一体何のために?!…きっと、自分自身の欲望のために。娘たちが悶え、苦しみ、死んでゆく姿を見たいが為に。
 もはや神父も、教会も、神様も信じられないとカトリーヌは思った。あんなインチキ男を満足させるためだけに、何人もの娘がこんな苦しみを受けなければならないなんて!しかも、それが神と教会の名において平然と行われているなんて…そんなのを許している神様なんて、そんな神様なら私は要らない!あの男に復讐できるなら、私は悪魔にだって魂を売るわ…。

 10日後、やっと傷の癒えてきたカトリーヌの牢を拷問吏が開いた。彼女の手足を牢に繋いでいた鎖が外される。

「出ろ。」
「わ、私は…赦されたのでしょうか?」
「出ろ。…お仕置きの続きだ。」
 それ以上、何も訊ねることはなかったし、何も聞きたくはなかった。


 拷問室の中に、真っ赤に燃える炭火が運び込まれている。カトリーヌは手足を大の字に開かされ、石の壁に鎖で繋がれている。炭火のなかに、5本の金属棒が並んでいるのが見える…彼女は判決を思い出した。ひとつ、神前における真実の誓いを破った罪について、焼印五箇所の罰。

「傷はもう治ったかね、カトリーヌ?」
 クーブルは薄気味の悪い笑みを浮かべ、癒えたばかりの鞭打ち跡に沿って指を滑らせた。
「残念だが、まだ刑罰は終わっていないんだよ。厳正なる判決に従い、僕は君に5箇所の焼印を押さなければならない。」
 それが楽しくて仕方ない、と言わんばかりの冷酷な笑み。カトリーヌは唾を吐きかけてやりたい衝動をこらえ…そんな事をしても、事態は悪くなるだけだろう…彼女はただ、クーブルの暗い目を思いっきり睨み返してやる。彼は一瞬怯えた表情を見せ…やがて、例えようのない満足感で顔を一杯にするのだった。
「この5本の焼印には、それぞれ聖なる印が付いている。それを何処に押すかは、全部僕の一存にかかっているんだよ。判るかい?」
 彼は炭火桶から一本の金具を取り出し、真っ赤に焼けたその先端をカトリーヌの鼻先にちらつかせた。彼女は両手を繋がれた鎖を鳴らし、顎を引いて身を逸らそうとする。
「無駄だよ、君は逃げられない。君の犯した罪に向かい合って、きちんと償わなければならない。判るかね、僕の言っている意味が?」
「この…卑怯者!」
 そう言うのが精一杯だった。クーブルは躊躇なく、彼女の右乳房の上に焼印を押し当てる。ジューッという音、絶叫。肉と脂肪の焦げる臭い。もう一本の焼印を取り、今度は左乳房の上に押し当てられる。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
 カトリーヌは身を捩じらせ、手足をつないだ鎖がガチャガチャと鳴る。
「おいおい、そんなに暴れるなよ。焼印が綺麗に押せなくなるじゃないか。」
 三箇所目の焼印は、右の内股だった。四箇所目は左の内股。カトリーヌは激痛に身をのけぞらせ、尿をちょろちょろと失禁してしまう。
「おやおや、お漏らしかい、カトリーヌ?まだもう一本残っているんだけどねぇ。」
 どこに押そうか迷っているように、クーブルは赤く焼けた鉄印をくるくると回す。やがてカトリーヌの動きが止まったのを見計らい、彼は焼印を彼女の下腹部…股間のすぐ上、陰毛の生え際あたりに押し付けた。
「嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 金切り声の絶叫が、拷問室の中に響き渡った。陰毛の焦げる嫌な匂いが立ち込める。いつもは青白いクーブルの陰気な顔が、興奮と歓喜によって紅潮している…。

 拷問吏は彼女を鎖から外し、焼印に刻まれた火傷を井戸水で冷やしてくれた。こうすると傷が膿むことがなく、毒が入るのを防げるそうだ。親切なのか、残酷なのか判らない人達だ。きっと好き嫌いに関わらず、仕事だからやっているのだろう。この人達は「殺すな」と言われれば殺さない程度に傷めつけるし、「殺せ」と言われればどんな手段を使ってでも殺すのだろう。だがあの男は…クーブルは、自分の趣味でこの仕事をやっている。だが、彼女にどうすることができるだろう?自分が助ける方法を探るべきか、それともあの男のインチキを告発する方法を探すべきか。今のカトリーヌには考えることができない。


 数日後、またカトリーヌは牢から出された。その間、あの男が死んでくれるよう必死に悪魔に祈り続けたのだが、この地下室には神も悪魔もいないようだ。いや、悪魔はいる…すぐそこに。黒衣をまとった、顔色の悪い悪魔が。

「喜びたまえ、カトリーヌ。今日が最後の刑罰になるよ。」
 最後の刑罰は…何だったろう。もはや今日が何日なのか、カトリーヌはその記憶さえも曖昧になっている。確か…印をつけるとか言っていた。印っていったい何だろう…罪人の刻印刑といえば、普通は入れ墨なのだが。
「そう深刻そうな顔をするな。今日の刑罰はごく軽いものだ。」
 そう言って、彼は携えてきた小箱を開けた。鈍色に輝く、重たそうな金属製の十字架が5つ。それに結わえられるらしい細い鎖。これを使って、どんな「印」が与えられるというのだろうか。彼女の肌には既に、無惨な焼印が刻まれているというのに。
「では、始めよう。君たち、囚人を押さえておきたまえ。」
 両側から、拷問吏にがっしりと腕を掴まれる。クーブルは長い鉄の針を手に取った。あの時とは違い、本当に芯の通った本物の針だ…その先端が、彼女の乳首に押し当てられる。ぶすり、と感触があって、彼女は小さく呻き声を漏らす。針穴に何かの金具が通され、パチンと留められた。その先端には鎖があって…あの十字架につながっている。
「判ったかね?教会に逆らった償いとして、君は一生これを身に付けて暮らすんだ。」
 反対側の乳首にも、同じように十字架がつながれる。残りは何処に付けるつもりだろう…クーブルが拷問吏に彼女の両脚を開くよう命じたとき、その答えは明らかとなった。彼女の陰唇が押し広げられ、針が通されて金具に十字架がつながれる。そして残ったもう一個の行き先は…陰核。そこに針が突き立てられたとき、カトリーヌは絶叫を上げて手足をばたつかせた。
「おい、しっかり押さえておけ。さもないと、大事なトコが千切れてしまうぞ?」
 パチンと金具が閉じられると、クーブルは「よし、立て」と命じた。拷問吏に立たされると、全身五箇所に付けられた十字架がぶらぶらと揺れた。クーブルはさも満足そうに、陰核に結ばれた一本をキュッと引っ張って言う。
「君は一生その姿で暮らすんだよ、カトリーヌ。これは教会の下した神聖なる判決だ。もし勝手に外したりすれば…判っているだろうね?もしそんな事があれば、君には更に厳しい刑罰が与えられるだろう。」
 私は…私はいったい何?どうして私が、こんな惨い目に逢わなければならないの?!定められた刑罰がやっと終わったというのに、カトリーヌの心は絶望に沈んでいた。こんな姿では、もう村に戻れない…妹たちにも合わせる顔がない。こんな姿にされた私を見て、あの子たちはどんな気持ちになるだろう?!だが、そのカトリーヌの心を、更に絶望の底へ叩き落とす言葉が待っていた。
「拷問吏諸君、お勤めご苦労であった。以後、この女の身柄は私が引き受ける。」
「え…っ?!」
「判決を忘れたのかい、カトリーヌ。罰則の適用後、被告の更正はクーブル審問官に一任される、だよ。まさか君は、村に戻れるとでも思っていたのかい?」
 にっこり笑いかけたクーブルの表情は、かつて見た以上の残酷さに歪んでいた。


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